※和ざなびでは、茨城県/栃木県の織物を「結城紬」と紹介。
詳しく結城紬について知りたい場合は、「関連リンク」等、参考。
茨木県/栃木県
結城紬(ゆうきつむぎ)
古代から常陸国では織物が織られていたが、室町末期に結城紬の名称が生まれた。
最大の特徴は糸にあり、真綿の手紬糸は無撚糸(よりをかけない糸)で、その糸は空気を含み、保温性に優れ、軽くて着くずれしにくい着心地がある。
独特な「いざり機」で織る日本の代表的な手織紬。
写真:2015年5月17,18日 銀座時事通信ホールで行われた「第15回 日本紬織物フェスティバル」実演コーナーにて、いざり機で織る様子。
関連リンク
栃木県の工芸を紹介するサイト
栃木県の伝統工芸品についてマップ検索、PV、工芸品見学・体験の一覧などの情報が満載。
運営元:栃木県公式ホームページ
群馬県
伊勢崎絣(いせさきがすり)
明治・大正・昭和に、伊勢崎銘仙の名で知られる。歴史は古く古代からあり、17世紀後半には産地形成。
特徴は、括り絣、板締(いたじめ)絣、捺染(なっせん)加工絣の絣糸技法による。
現在も当時の技術・技法が引き継がれている。
※絣(かすり)…織物技法のひとつ。前もって染分けた糸を、経糸(たていと)・緯糸(よこいと)・経緯両方に使用して織ることで、かすったような模様になる。それぞれ経絣・緯絣・経緯絣。
桐生織(きりゅうおり)
18世中頃、西陣より技術導入し、紋織物の産地として発展。
お召織(おめしおり)、緯錦織(よこにしきおり)、経錦織(たてにしきおり)、風通織(ふうつうおり)、浮経織(うきたており)、経絣紋織(たてかすりもんおり)、捩り織(もじりおり)など様々な織物を生産。
昭和52年10月、通商産業大臣から伝統的工芸品に指定。
埼玉県
秩父銘仙(ちちぶめいせん)
粗く仮織した縦糸に、染料を刷毛で刷り、色を重ねる型染をしていく技法で、「ほぐし捺染(なっせん)」という秩父独特な技法。
(※秩父地域出身の坂本宗太郎氏により、明治41年に特許取得)
縦糸の型染の色や絣模様、緯糸の色との関係・角度などにより異なる色の見方や、重なり合うことで深みのある色調・玉虫色の光沢、表裏が同染色のため裏返しでも着れたり、何度も仕立て直しができるなどの特徴をもつ。
2013年12月26日に国の伝統的工芸品に指定。
本庄織物/本庄絣(ほんじょうおりもの/ほんじょうかすり)
埼玉県本庄市・児玉郡下で生産される絹織物。
手くくり絣・板締絣・捺染加工絣など、様々な絣模様で、幅広い製品が製造されている。
現在、「本庄絣」として埼玉県知事指定伝統的手工芸品に指定。
千葉県
綴錦織(つづれにしきおり)/綴織(つづれおり)
奈良時代に中国から伝えられ、絹糸・金、銀糸などを用いた織物。
爪や櫛(くし)による織が特徴。爪織り綴れともいう。
古風な風合い・気品のある織物。
銚子ちぢみ(ちょうしちぢみ)
江戸時代、漁師の婦女子が出漁の安泰・豊漁を願いつくられたのが始まりとされる。
通常の約5倍の*①撚り(より)をかけ強度を高め、糊で固めた後、右・左撚りの*②緯糸を交互に織りこむことにより、丈夫な特徴をもつ。大正時代には生産は衰退、途絶えたとされる。
戦後、常世田眞次郎氏が再興を志し、古裂地の研究・わずかな伝承者からの技術習得などを経て、再興。現在、常世田眞次郎氏の孫にあたる常世田眞壱郎氏が技術を伝承し、「銚子ちぢみ伝統工芸館」を運営している。
※①撚り(より)…ねじること。ひねること。
※②緯糸(よこいと)…織物の横糸。
東京都
村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
特徴は「板締め注入染色法」という伝統の技術。
群馬県伊勢崎から板締染色・絣板の製造・経巻などの技術を得て、木綿絣から絹織物の大島紬が確立。
着心地も軽く、デザインの多様性も特徴。
出典:youtube 東京都伝統工芸品【東京都産業労働局】 村山大島紬
関連リンク
本場黄八丈(ほんばきはちじょう)
格子模様の絹織物として確立したのは江戸時代中期頃。
島に自生する植物性の天然染料を用いる。
黄色・樺色又は茶色・黒色の三色で織られ、渋みのある色合いも特徴。
丈夫で変色もしにくい。
出典:youtube 東京都伝統工芸品【東京都産業労働局】 本場黄八丈
多摩織(たまおり)
草木染による先染・先練の絹織物。
御召織(おめしおり)・風通織(ふうつうおり)・紬織(つむぎおり)、捩り織(もじりおり)・変り綴(かわりつづれ)これら五品種の総称を多摩織という。
出典:youtube 東京都伝統工芸品【東京都産業労働局】 多摩織
東京都の工芸を紹介するサイト
東京都の伝統工芸品や伝統工芸士の紹介、オンライン展示会では、会員が製作した商品をWeb上に多数展示。随時、体験案内や展示会情報などもお知らせしている。
神奈川県
津久井紬(つくいつむぎ)/川和縞(かわわじま)
江戸時代後期頃、津久井の山間部では副業として養蚕が盛んとなり生糸や織物を生産していた。経糸は生糸・緯糸は玉糸を用い、普段着として素朴な風合いが好まれていた。現在、伝承は途絶えている。